ユラリトフワリト

ものぐさ狂言回しの雑記帳。

文章で 伝えきれない もどかしさ

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photo by SPIngram

2016年は五七五で幕開け。
新年独特のほろ酔い気分で、脳裏に浮かんだあれこれを今日も書き綴っていく。


──言葉というものは、とても曖昧だ。

どれだけ言を尽くしても、本意でない伝わり方をすることがままある。

推敲を重ねることができる文章でさえ、書き手が思いもよらぬ解釈によって、あらぬ誤解を受けたり、考えが間違ったかたちで同意されたりしてしまう。

ブログのように加筆修正が容易なメディアであれば、言葉を重ねていくことで理解のすり合わせが行えるのかもしれないが、読み手が根気よく付き合ってくれるとは限らない。

書き手は己の考えができる限り正確に伝わるよう、常に細心の注意を払い、言葉を選び、過不足ない文章を作り上げるべきであろう。


一方、読み手の自由な解釈に任せることで、新たな魅力を発揮する文章というのもある。

書き手が考えもしなかったような解釈は、人間が決して画一的な存在でないことを実感させ、まだ見ぬ世界が目の前に広がっていることを知らしめてくれる。

時には、わざと多様な受け取り方ができるような表現を選んだり、あえて出す情報を制限したりして、ハンドルを読み手に明け渡すような文章を書いてみたくなる。

うまく伝わらないジレンマがあるから、伝わったときに至上の喜びが味わえるともいえる。


書き手と読み手は、まったく異なる人間同士。
それまで辿ってきた人生(みち)が違うのだから、考えや解釈にずれが生まれるのは当然だろう。

だからこそ、心が通じ合う瞬間が互いにかけがえのないものとなるのだ。

新しい世界に触れる体験を楽しみつつ、そんな心通う瞬間を求めて、本年も日々、筆をとっていきたい。